Luna
ぶどうみたいな「ぶどう石」
和名:ぶどう石(ぶどうせき)
英名:Prehnite プレナイト
化学式:Ca₂Al(AlSi₃O₁₀)(OH)₂
”ハンプティ・ダンプティ塀の上
ハンプティ・ダンプティ落っこちた
王の家来をみんな集めても
王のお馬をみんな集めても
ハンプティ・ダンプティを元には戻せない” (Nursery ryhme より)
ハンプティ・ダンプティは塀の上で言ったわ。「名は体を表さなくちゃいけない」って。
だからアリスは出会ってすぐに彼の名前が分かったの。
「まちがえっこないわ! まるで顔中いっぱいに名前が書かれているみたいに、確かだわ!」
(「HumptyDumpty」を直訳すると「ずんぐりむっくり」といった意味よ。)
このぶどう石だってそう。
もしいろんな石が並べられていて、そのどれかが「ぶどう石」っていう名前だとしたら、私はすぐにどれがぶどう石なのかわかると思う。だってまるで体中に「ぶどう石」って書かれているかのような姿をしているんだもの。
『鏡の国のアリス』の中に出てくるハンプティ・ダンプティさんはこんなことも言っています。
「わしがある言葉をつかうときは、わしが言い表したいと思うことを意味するんだ。それ以上でも以下でもない」
ハンプティ・ダンプティさんのシニフィアンはハンプティ・ダンプティさんの(
一つの言葉が色々な意味をもってしまうと、言葉の主人が言い表したいことと聞き手が受け取る言葉の意味とがちぐはぐになりかねない。だから名前はそのまま姿形を表すべきだ、とハンプティ・ダンプティさんは主張しているのかもしれませんね。
ハンプティ・ダンプティさんはこうも言いました。
「問題は、どっちが主人になるかっていうことさ」
「あの卵という概念」を「卵」と呼んでも「Egg」と呼んでも「ハンプティ・ダンプティ」と呼んでも同じものを伝えることができるけれど、「卵」という言葉がりんごを意味したり猫を意味したりしたのでは伝えたいことを言葉で伝えるのは難しくなってしまう。指示するもの(シニフィアン)と指示されるもの(シニフィエ)のどちらが主人になるかということはとても大きな問題のようです。ある言葉にいろいろな意味をもたせて鞄語(スナーク)にしてしまうと、ときに大変な危険をもたらすこと(ブージャム)になるかもしれませんものね。
アリスとの別れ際、ハンプティ・ダンプティさんはこう言います。
「もしまた会ったとしても、わしはお前のことが分からないだろう」
ハンプティ・ダンプティさんにとっては「こども」はみんな「こども」であって、同じに見えるみたいです。
卵こそどれもみんな同じに見えると思うんだけれど、そんなぶしつけなことを言ったらハンプティ・ダンプティさんはきっとかんかんに怒ってしまうでしょうね。
名が体を表しているぶどう石。
ハンプティ・ダンプティさんはこの石をきっと気に入ってくれると思うわ。