Mira&Luna's nursery lab

旅乙女と発明娘の子供部屋

瞬間移動装置「テレポーター」の大発明。自己同一性について二人で考えてみました。

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ミラf:id:miraluna:20181215104752j:plain:w50は最近哲学的なことを考えるのが楽しいようです。
昨夜は「赤ちゃんの私と今の私とおばあさんになった私は同じ人なのかな」という質問を投げかけてきて、私たちはベッドに入ってプラネタリウムの夜空を眺めながら自己同一性についてお話しました。
→「ミラが修理した家庭用プラネタリウム
そのときに瞬間移動装置についての話が私たちにとっておもしろかったので、ここに書いてみます。

瞬間移動装置と自己同一性について私たちが考えたこと

脳科学人工知能の研究は日に日に進んでいます。このまま研究が進み、脳の仕組みがすっかりわかってしまった未来を仮定しましょう。

人間の体は特殊な物質からではなく、たんぱく質や水といった身近なものでつくられています。脳の仕組みが解明された未来では3Dプリンタも精度を上げていて、様々な物質でコピー製品を作ることができる(ということにしました)。

そんな未来のあるところにルサティアシュタインという風変わりな博士がいました。博士は毎日ラボにこもって研究ばかりしている人で、カフェでサンドウィッチを食べるくらいならお湯なしのカップヌードルでランチを済ませてしまおう、バスタブに浸かるくらいなら土砂降りの日に裸で中庭を一周しよう、というような人物でした。人の寿命の平均が150歳となったその時代に、まだ50歳という若さなのにまるで120歳のような姿をしていました。そんな博士が瞬間移動装置「テレポーター」を発明したと発表したのです。



テレポーターの仕組みは次のようなものでした。
1.瞬間移動したい人を装置Aに入れ、成分と構造をスキャンする。
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2.そのデータを離れた場所にある装置Bに転送し、全く同じ組成の人間をコピーする。(注)
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3.(ちょっと怖いけれど仮定の話なので)装置Bで生成するのと同時刻に装置Aのオリジナルを抹消する。
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(注:記憶は海馬などのニューロン組織に依存し、全く同じ組成であれば記憶も同じものだとする。また同じ理由で仮死状態からの蘇生のように電気ショックによってバイオリズムやサーカディアンリズムが開始されるものとする)(注釈:保護者のカタリ)

さて、世紀の大発明と自称されたこの発明は瞬く間に世界中に広がり、流行に敏感な人たちは高額なその装置を我先にと試みました。でもこの発明、実はその時代の技術を考えれば仕組みは難しくありません。地球法律で禁止されている「人間のコピー」を、証拠が残らないように行うというだけのことですから。

100人の瞬間移動装置の利用者が確認されたところで、この装置のメカニズムに気が付いた団体がストップをかけました。彼らの主張は「この装置は殺人機械だ」というものでした。実際、その装置のメカニズムを知れば誰もがそう思うことでしょう。でもルサティアシュタイン博士はその主張に真っ向から反論したのです。
博士はテレポーターを使用した人々を招集し、このように主張しました。
「私が行ったのは人間の違法コピーと殺人だと言う者がいるがそうではない。私が行ったのはA地点からB地点へと人間を瞬間的に移動させるということだ。その証拠に装置Bから出てきた人々は装置Aに入ったときとまったく同じ姿、声をしているじゃないか。性別や年齢はもちろん、健康状態から好きな音楽までまったく同じだ。これは同じ人間だと言っていいはずだ。実際、今までテレポーターを使った人々に対して彼らは別人だと言った人が一人でもいただろうか? いや、いなかったはずだ。なぜなら彼らは姿も形も記憶も志向も装置Aに入る前と何一つ変わってはいなかったからだ。つまり、同一人物だといえるからだ」
ここでまた大非難を受けますが、博士は反論を続けます。
「では装置Bから出てきた利用者本人たちの感想はどうだったかみてみよう。利用者のNo.3さんは『一瞬のできごとだった、気が付いたらB地点に到着していたよ』と言っている。No.56さん、『痛みもなければ後遺症もない。性格も記憶も移動前と何ら変わりはない。ただワープしただけだ』。No.39さん『おかげで大切な会議に間に合ったよ、サンキュー』。No.99さん『急に寒い地点に移動したから治りかけていた風邪がぶりかえして、口内炎も痛いまま』。
どうです、誰もが移動前の状態と何ら変わらず、記憶も連続していることが分かるでしょう。病気やけがさえもそのままだ。その後の生活において『自分はコピー人間なのでは』などという疑問を抱いた人が一人だっていただろうか? いや、そんな疑問を抱いた人は一人もいないし、そんな疑問を抱けるはずもないのだ。なぜなら利用者たちは周囲の人々にとっても、当人自身にとっても、本人そのままだからであり、社会的影響は皆無だ。これはつまり彼らが同一人物であることを意味している」

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ルサティアシュタイン博士の言い分はきっと受け入れられはしないと思うけれど、彼の言い分にはなるほどと思わせるところもあると思うの。

まず、装置Bから出てきた人が、装置Aに入ったときの姿や状況、特に記憶をそのまま維持しているということ。これは周囲にも見分けがつかないだけではなくて、コピー人間当人も気が付きようがないし、まるで装置Aに入る前までの人生を送ってきたかのように感じているはず。その記憶ももっているし。もちろんこれは連続した「維持」ではなく見せかけの「維持」だけれど、誰もそれに気付きようがないのなら社会的影響は皆無だという博士の言い分にも一理あるのかもしれません。(ただし抹消されたオリジナルだけはそのことに気付くことができるのだけれど、そのときにはオリジナルは……)

次に同一時刻にコピーが存在せず、なおかつオリジナルとコピーの存在に間がないこと。
空間軸上ではオリジナルとコピーは連続していないけれど、時間軸上では連続しているという捉え方もできるのではないかしら。

 (カタリ追記:自己同一性が確立されているかどうかについて考える際、”誰にとって”確立しているとみなされるのか、という相対的な見方が必要になるのかもしれません。例えば上記のオリジナルとコピーであれば、周囲の人にとってはコピーの自己同一性は確立しているとみなすことができるかもしれないけれど、オリジナルにとっては自己同一性は確立されていません。自己同一性の定義づけを行うのであれば、異なる視点それぞれに相対的な定義づけが必要となるでしょう。しかしそうなると、ある人にとっては同一人物であるけれど、ある人物にとっては別人である、というような一見矛盾しているような状況が生まれます。それも面白そうな話だけれど、話題が逸れてしまうのでここでは割愛します。)

それからミラの疑問「赤ちゃんの私とおばあさんの私は同じなのか」ということ。
コピー人間は空間的に離れている場所にあった物質を使ってつくられている。だからそのひとつひとつの成分が別のものだから別人だ、と考えることもできます。でもそもそも私たちの体は毎日の食事と排泄、新陳代謝によって、形作っている成分は入れ替わっている。一年前の私に使われていた成分は、今や跡形もなくなって、ほぼ100%新しい物質に入れ替わっているはず。つまり現実の私たちも、過去と未来とではまるで別のものからつくられているということになります。すると体を形成している物質が入れ替わっても、自己同一性は失われない、ということになりますね。

ルサティアシュタイン博士は空間的に生成・消滅を行ったわけだけれど、もしかしたら今この瞬間にも私たちは時間的に生成・消滅を連続的に繰り返しているのかもしれませんね。


結局、装置Aに入った人と装置Bから出てきた人は同一人物といってよいのかそれともまるで別の人なのか、何をもって自己同一性は定義されるのか、そもそも自己は同一なのか、それ以前に自己って何?
というような、ますます濃い霧の中に迷い込んでいったところで、私たちは2人ともまどろみの霧の中に落ちていったのでした。