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旅乙女と発明娘の子供部屋

Camino 自転車旅 「鉄の十字架 Cruz de Ferro」 9日目「祈りの山を越えて」

Saint Jean pied de port から Santiago de Compostela までの Camino を自転車で旅しました。

Camino Frances を旅しようと計画している人や自転車旅に出たいと考えている人のために記録を残します。
               文:Luna   助言・あーせい更正・校正:Katari
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☆ Camino de Santiago 巡礼路
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<このページの記事>
〇 Cruz de Ferro とは
〇 Cruz de Ferro の伝説
〇 鉄の十字架のある場所
〇 祈りの地
〇 日記 9日目「祈りの山を越えて」


「鉄の十字架 Cruz de Ferro」

☆ 鉄の十字架 Cruz de Ferro
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・Cruz de Ferro とは
レオンの町とポンフェラーダの町の間には「Montes de Leon」という山々があります。
この山々を越える道のり(イラゴ峠というそうです)に小高い丘のような石積みがあり、そこには柱が立てられ、その上に鉄の十字架が掲げられています。
「Ferro」は「鉄」、「Cruz」は「十字架」の意味で、これが「Cruz de Ferro」、「鉄の十字架」です。
ここに自分の住む土地から石を持ってきて置いていくと願いが叶うといわれています。


・Cruz de Ferro の伝説
鉄の十字架の由来は歴史的にいくつかあるようです。

ローマ時代には2つの領土の境界として、日本でいう一里塚のように設置されたものと考えられています。
その後ケルト時代には戦略的な地点としての印となり、そのときに十字の形にすることでキリスト教化したそうです。
今でも雪深い冬には埋もれずに目印となる役割があるようです。
他にもサンチアゴ=デ=コンポステーラに大聖堂が建てられたときに巡礼者たちは「石」の寄付を求められて、それぞれの家から石を持ち寄ってここに置いていったという言い伝えもありました。

今では、巡礼者たちが自分の住む土地の石をここまで運び、十字架の元に置かれた様々な種類の石によって石積みができています。
また、写真や手紙、自分の持つ品(「アイテム」と聞きました)を置いていくと祈りが通じるともいわれています。

石には日付やメッセージを書く風習が生まれたようです。
アイテムというのは写真や手紙の他に、ぬいぐるみや指輪やネックレス、衣服の切れ端や帽子、すり減って穴の開いた巡礼靴などがありました。


☆ 祈りの山を越える
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・鉄の十字架のある場所
アストルガの町からポンフェラーダの町へ向かう中、カミーノ(巡礼路)はサン=ジャン=ピエ=ド=ポーからサンチアゴ=デ=コンポステーラまでの道のりの中で最も標高の高い 1520mの地点を通ります。
その最高点の少し手前、 1504mの地点に鉄の十字架はあります。
かつては別の位置にあったそうですが、車の通る道路の事情で今の位置に移動したそうです。
北緯 42°29'20 、東経 ー6°21'42 の地点にあります。



・祈りの地
「願いの叶えられる場所」と聞くとトレビの泉や初詣の神社にあるような明るくておめでたいイメージがあったのですが、ここは私的な「願い」をかなえる地というよりも聖地としての「祈り」が込められた場所のように感じられました。

巡礼者たちによって石と共に捧げられた品々の中には、遺品と思われる品も数多くありました。
柱に貼られた写真や手紙には祈りのメッセージが書き込まれています。
昨日の宿で一緒だった息子さんを亡くした女性は写真と手紙を石積みの上に添えて祈りを捧げていました。彼女はひざまずいて涙を流して祈っていました。
他にも涙を流しながら一心に祈りを捧げる人々の姿を見ました。
奥さんを亡くし、途方に暮れて巡礼の旅に出たと言っていた男性も、この後ここで祈りを捧げることでしょう。
「願いの叶えられる場所」は「祈りが届く場所」として神聖な地とされているのかもしれません。

昨夜のミサでは司祭さんがこの鉄の十字架の場所についてお話していました。
「あなたたちは明日、この厳しい道のりで最も高い場所を越えることになるだろう。そこには鉄の十字架があり……(略します)……世界中のあらゆる場所からピルグリムたちはやってきてそこで祈りを捧げる。過酷な旅を無事に終え、家に帰ることができるようにと」
「家に帰ることができるように」というのはピルグリムたちの旅の安全を祈願した言葉ではなく、亡くなった人の魂が道に迷わずに家(あるいは天)に帰れるようにという言葉だったのかもしれません。

ここはきっと祈りの聖地なのでしょう。


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「祈りの山を越えて」

  カミーノ 9日目 (ここからは日記です)

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☆ ラバナルから Vega de Valcarce へ
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夜明け前、宿のみんなは支度をして次々に出発していきます。
私たちも起きて、みんなが旅立っていくのを見送りました。自転車旅はあまり暗いうちに出発すると危険なので遅く出発します。
アイルランドから来たお兄さんが帽子を忘れてしまったけれど、ここからの山道では徒歩の巡礼路を自転車で追いかけることはできないでしょう。私たちはカミーノ2日目のカタリーナの忘れ物のときのように届けようとはしませんでした。きっとどこかで新しい帽子を手に入れるでしょう。


お世話になったアルベルゲの人たちにお礼を言って日の出前に出発します。ここは無料のアルベルゲだったので、寄付もしましたよ。

朝の山道は清々しくて気持ちがいいです。
寒いのでレインウェアを着ました。

☆ ラバナル村を出発
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予定通り、道は急な登りの山道でした。低木の森の中に徒歩の巡礼者たちの姿が見えます。
今日は巡礼路で最も高い地点を越えることになります。


しばらく登ると山中に小さな村が現れました。
スキー場のリフト乗り場の近くにある休憩所のような雰囲気の村でした。きっと冬には雪が降るのでしょうね。
カミーノの途上にあるので、たとえ小さな山中の村でもアルベルゲやレストラン、お土産屋さんまでありました。

☆ 山中の山に到着
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村を出てさらに山道を登っていくと辺りは深い霧に包まれていきました。

一度ヘッドライトを点けた車とすれ違ったのですが、霧が深くてきっと向こうからは私たちの姿が見えていなかったでしょうね。危険のある道でした。

やがて登り坂はゆるやかになり、前方の霧の中に柱のようなものが浮かび上がりました。
鉄の十字架 Cruz de Ferro にたどり着いたのです。

☆ 鉄の十字架
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鉄の十字架は巡礼者たちにとって大きな意味のある聖地だそうです。
今朝宿で見送った仲間が何人かいました。私たちは再会のあいさつをしましたが、にぎやかに騒ぐ雰囲気ではありませんでした。多くの巡礼者たちが一心に祈りを捧げていたからです。

祈りを捧げる巡礼者の中に、宿で一緒だった女性もいました。彼女は男の子の写真を十字架の足元に捧げ、祈っていました。そして彼女は涙を流していました。
他にも各々が家から大切に持ってきた石と品々を捧げて涙を流す人々がいました。
ここは祈りを届ける大切な場所のようです。
腕輪や写真、手紙のようにメッセージの書かれた紙などが柱に貼られていました。
私たちは旅の途中で巡礼路に出会ったので、家から石を持ってきてはいませんでした。ただ旅の安全と、そこで捧げられた祈りたちが届くようにと祈りました。


☆ ここからは下り坂
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鉄の十字架を越えてしばらく行くと、巡礼路は下り坂になります。
自転車の旅で「下り坂」というと快適なイメージですが、ここは違います。
怖いです。とっても。
少し先の道が見えないような急な下りもありました。
左側は崖。ブレーキをいっぱいに使って進みます。
荷物を積んでいるのでブレーキをかけても速度は少ししか落ちません。あまりブレーキに頼りすぎると危険なので、速度を何とかコントロールしながら落ちるような感じで下っていきました。
怖かったです。

☆ ぐんぐん下っていく
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ようやく村にたどり着いたと思ったのですが、ここも山の途中でした。
村はお祭りが開かれている山村のような感じで、お祭りではないのですが山を越えた巡礼者たちでにぎわっていたためそんな印象を受けました。
きっと冬は雪に覆われるのではないかな、と思わせるような造りの村で、カフェやアルベルゲが何軒か集まっていました。

☆ 下り坂の途中にある村
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そしてまた、村を過ぎれば急な下り道です。

☆ 谷間を下る
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ようやく下り坂が緩やかになりました。
目の横には涙の跡がついて、体の芯が冷えたので手が震えています。
そしてとっても怖かったです。カタリは楽しそうでしたけど……。

教会に入ってから看板の地図を見ていると男性の巡礼者が山を下ってきました。
歩きの巡礼者にとってもこの下り道は厳しいことでしょう。特にひざに痛みのある人や荷物が重い人は苦しい道のりになるはずです。
それでもみんな、痛みや疲労と闘いながらも巡礼を続けていきます。
男性と話をすると、以前はこんな看板なかったよと言っていたので、ここを訪れたことがあるのかと尋ねたら、巡礼の旅は3回目だそうです。
驚きました。3回もこの長い道のりを歩くなんて。
その後私たちは巡礼者たちに「巡礼の旅は初めて?」と何度か尋ねてみたところ、複数回来ている人は少なくないことがわかりました。中には7回という人や、ポルトガルの道や北の道など巡礼路を変えて、もう十年以上も毎年巡礼をしているという人までいました。
でも、なにがそこまで彼らをひきつけるのか、少しわかるような気がします。

☆ ふもとの村 Molinaseca
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アルベルゲやバルが通りに並んでいます。どうやら巡礼者たちに人気の村のようでした。
この村にはお遍路さんの四国巡礼記念碑など、日本と関係のあるものもありました。


村を過ぎ、ポンフェラーダの町に入ります。
大きな町です。
お昼ご飯を食べました。
大きな町が不得手な私たちは自転車の通る車道の巡礼路を見つけることができず、徒歩の巡礼路を追って町を出ました。
町の郊外にはスーパーマーケットがあり、冷たいデザートを食べました。

途中に通ったポンフェラーダ郊外の教会では木陰の椅子におばあさんが腰かけていて、私たちが通り過ぎると後ろから「寄っていきなさい」といったような言葉(スペイン語だったので意味はわからなかったのですが)を大きな声でかけてきたので、その教会に寄りました。
教会で熱心に「寄ってらっしゃい」と声をかけられたのは初めてです。

やがて巡礼路は山へと向かい、私たちは小さな村のアルベルゲを探して進みました。
たどり着いたのは Vega de Valcarce という村。
小さなスーパーマーケットが2軒もあり、アルベルゲもいくつかあるようでした。

私たちはアルベルゲを1軒だけ見つけることができ、そこに泊まりました。そのアルベルゲはとてもきれいで新しい宿でした。オーナーに話を聞くとペンションのようなイメージでした。私たちが宿に入ると彼はカフェにお酒を飲みに出かけました。「コーヒーにほんのちょっと加えただけだよ。ほんの40%のアルコールを」と笑っていました。

ベッドの脇には鍵をかけられる小さなロッカーがあり新しくて清潔な場所だったので、他人とは関わらずに快適な旅行がしたい、という人には良い宿でしょう。
私たちはもうあと数回しか泊まれないであろう人情深い巡礼路の宿を期待して来たので、残念な気持ちでした。

☆ 鍵付きロッカーのある安宿
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スーパーで食材を買って料理をし、快適に過ごしました。
快適ではあったのですが、何か物足りない感じがします。
これだけ多くのものがそろっているのに物足りないとは何て不徳なんでしょう。
ご馳走があり、清潔なベッドがあり、シャワートイレがあり、洗濯もできました。それもたったの10€で泊まることができるのです。十分すぎるくらい十分です。あまりにも恵まれています。
なのにどうして、こんなに残念な気持ちになるのでしょうね。私たちは昨日のラバナルの村のような出会いがあるかもしれないと思っていたのです。信心深く、慎ましやかで温かいアルベルゲを期待していたのです。ミサや終日の祈りに参加して、鉄の十字架で涙を流していた人たちの祈りに想いを馳せることができると期待していたのです。
これは私たちのわがままです。「吾唯足るを知る」です。恵みを恵みと受け取れるように、明日からまた精進します。
食べ物と寝る場所を与えて下ったみなさんわがままを願ってごめんなさい。
私たちは十分恵まれていることを知るよう努めます。


明日の日記


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