Mira&Luna's nursery lab

旅乙女と発明娘の子供部屋

風日和。迷子になりたい。

Luna

今日は風日和。
この広い世界の、どこに身を置こうかな。

朝ご飯を食べたら、帽子を被って出かけようか。
行くあてはないけれど、ここではないどこかに。

誰も僕を知らない土地で、迷子になってみたい。
右へ行っても左へ行っても、初めて見る風景。
右へ行っても左へ行っても、僕は僕のいる場所にいる。

日常の暮らしは、日々が常にあるだけに思えて、
そこから抜け出したくなることがある。
小さな星の点灯夫や、遊園地の切符を切るヘムルのような。
たとえそれが大切な日常であったとしても、
この先どこまでその日常はのんべんだらりと続くのだろうと想像すると、brrr...。

だから時々、見たことのない空を見てみたくなるんだ。

でも空はいつも同じではなくて、
青い時もあれば鈍色の時もある。
茜色の時もあれば、黄金色の時もある。
時には雨を降らせたり。
時には嵐を起こしたり。
時には風の吹く日もある。今日みたいに。

違う空を見るためには、必ずしも地球の裏側まで飛んでいく必要はない。
右へ行っても左へ行っても迷子な僕は、
右へ行っても左へ行ってもやっぱり空の下にいるんだから。

辛いものを食べた時の空と甘いものを食べた時の空が違って見えるように、
泣いている時の空と笑っている時の空が違って見えるように、
赤い色眼鏡をかけた時と青い色眼鏡をかけた時の空が違って見えるように、
見る色を変えれば、空は別の色をしている。

空を見つめたり、空を眺めたり、空を見やったり、空を覗いたり、空を見上げたり、空に目を瞠(みは)ったり。

空を見下ろすことだってできる。
そのために空より高い場所へ登る方法もあるけれど、
地面にひれ伏して、それからごろんと仰向けになる方法もある。
それだけでほら、空は遠く向こうの眼下に広がっている。

きっと偽物の空を見ることもあるだろう。
いつも本物ばかりが目に映るわけじゃないから。

過ぎた夏を思い返すこともある。
いつだって何を見ても何かを思い出すんだ。

その日の空が美しければ、その日は美しく見える。
その日の心が美しければ、その空は美しく見える。

ふと振り返ると、ここまで歩いてきた道のりが見える。
川沿いの道を毎日通ったあの時も、
毎晩星空を見上げていたあの時も、
いつだって僕は僕で。

自由な空に深呼吸したこともあったな。

平坦に見える道のりにもでこぼこや登り下りがあって。
それが時には苦痛で、時には楽しかったりして。

いつだって緩やかな登り坂なんだ。

心動くほどの美しさはほんの一時だけれど、
動いた心はもう元には戻らない。

足元が荒れた日々にも、
空はそれすら覆うように、涼し気な青を見せる。

ずっと昔から同じ空のままで。

人の住む地はどこへ行っても、
空の下にある。
見上げれば空が見える。

のんべんだらりとした毎日は必ずしものんべんだらりとしたまま続くとは限らない。

一夜にして天地がひっくり返ることだってある。

世界の様相は、ほんの一時で一変する。

台風の空に心移ろったり、
黄昏空に心打たれたり、
心の色で、世界は一変する。

いつだって青空が見えたらいいのに。
って思ったりもするけれど、
きっと夜空や曇り空があるから、いいんだ。

風日和。
心の移ろうまま、
僕人称で徒然と綴ってみたくなったり......。

明日の空は、どんなにきれいな空かなぁ。