フランスを自転車で旅します。 ★現在地★
<13日目>
ここのところ宿に泊まることができなくて少し疲れ気味。昨日は120km以上の走行で泊まるところも見つからなくてへとへとだったの。でも最後には素敵なキャンプ場で天使みたいな女性に迎えられ、長い一日は報われたわ。この日は要塞のある町ブレイユから、入り海(入江)のギロンデ(ジロンド)を渡ります。そして大きな街ボルドーへ。ボルドーは美しい街だけれど、街の真ん中でこの日も宿が見つからなくて……。そこで私たちが頼ったのはなんと! ……というような旅の一日です。この日私たちはピルグリムになったんですよ。
☆ 丘と谷の美しい土地のキャンプ場からボルドーへ
へとへとに疲れた昨日。
夜、月明かりに目が覚めてトイレへ行くと、入り海の上に満月が昇っていたの。明るい時には気が付かなかったけれど小さな港があって、明かりが点いている。海に月の光が映えてきれい。
夜に雲が晴れるのは久しぶり。明日はどんな日になるのかな。
☆ 村の丘からキャンプ場と港を見下ろす
おはよう! 今朝は快晴です。雲一つありません。
昨日、キャンプ場の女性が9:00に何かが来ると言っていたの。女性はその何かを英語で何というか知らなかったので、その単語だけフランス語だった。何が来るのかしら?
私もカタリも知りたかったので、出発を遅らせて9:00を待ってみます。
すると9時ちょうどにけたたましくクラクションを鳴らして一台の車が入ってきました。「何か」が来たようです。
車はキャンプ場の中ほどまでずんずん入って、広くなっている場所に駐車しました。するとキャンプ場のあらゆるテントから待ってましたと言わんばかりに人々が集まってきます。もう2時間も待っていたわよ、と言いたげな明るいおばあさんや、眠い目をこすりながらパジャマ姿で手をつないできた姉弟や、犬の散歩中だった奥さんも。みんなわいわい集まって、たちまち行列ができます。そう、みんなが待っていたのはパン屋さん。朝の焼きたてパンを売りに来たのでした。
私たちはすでに朝食を済ませて出発準備も整っていたので、パン屋さんに集まる幸せそうな人々の光景を認めてからキャンプ場を後にしました。
素敵な日曜日の朝です。
☆ 村を出発
☆ 農家の入口門
☆ 畑の丘が続く
☆ 日曜の朝市
隣村の教会前広場では日曜の朝市が開かれていました。
村人たちが家にあるものを持ち寄るフリーマーケットのようです。
みんな楽しそう。
☆ 畑地は続く
☆ 今は羽のなくなった石造りの風車
雲一つない天気。車もない静かな道を自転車で走ります。
なんだか”夢っぽい”非現実的な光景の中を進みます。
秋の虫の声が聞こえて、黄色いひまわり畑が広がって、その向こうに教会の尖塔が見えます。
これは本当に現実なのかしら? と何度か考えましたが、夢なのか現実なのか確かめる方法がなかったのでそのままその世界を走り続けました。たとえ確かめられたとしてもその確証そのものが夢かもしれないから、確かめられても確かめられたことにならないわね。なんていうことをぼんやりと考えながら夢っぽい道のりを進みます。
今になって考えてみても、あれは夢だったのかどうかはっきりとしない。もしかしたらこの今も、あの夢っぽい世界の続きの夢なのかもしれないわ。
だってたとえ確かめることができたとしても、「確かめたということ」も含めて夢だったとしたら確かめたことにならないもの。この現実ももしかしたら夢なのかしら?
☆ 丘の上の別れ道
☆ 教会広場
村と村を点々とつないで旅をして行きます。
少し大きめの村には大きな教会がありました。ヨーロッパではどの町や村でも教会を見かけます。教会は町や村の中心にあることが多く、人々が宗教に対してどのような思いをもっているのかということがその立地から窺い知れます。
☆ ぶどう農園とシャトー
この辺りからぶどうを栽培する農園が多くなり始めました。
農園の中にはシャトー(城)と呼ばれる農園主の邸宅があちらこちらに見えます。
往時の貴族たちの生活がそのまま残っているかのような光景です。
☆ 貴族の邸宅はまさにお城のよう
お昼過ぎにブレイユの町に到着しました。
ブレイユの町はこのジロンド入江を渡るための渡し船のある町。何日も前からこの町を目指して旅を続けてきました。
ようやく入り海の南側へと渡ることができそうです。
このブレイユの町、実はもう一つ特筆すべきことがあります。カタリはそれを一つの目的と考えていたようです。それは、この町がパリからサン=ジャン=ピエ=ド=ポーまで続く巡礼路と交わる町だということです。
☆ ブレイユの町には立派な要塞がある
カタリはここ数日、私の心が元気のないことを心配してくれていました。特別な困りごとがあったわけではないのですが、自由な旅のあまりの自由さに心がついていけなくなっていたのかもしれません。
どこへでも行ける、という可能性が、どこへ向かっていくのか、という漠然とした不安を生んでいたのかもしれません。
そこでカタリは旅の途上に目的をもたせようと考えたそうです。
つまり、旅の目的地をもつのです。
☆ 要塞入口
ブレイユの町には巨大な要塞があります。
旅の目的地の話は要塞の中ですることにして、さあ、まずは要塞へと入っていきましょう。
☆ 巨大遺跡のような要塞跡です。
カタリは旅に対して自由を強く求めます。もちろん「目的地をもってはいけない」なんて縛りもありません。もつかもたないかも、自由に決めます。
ただ、ある一つの目的が旅の目的そのものになってしまうことを「危険なこと」と言っていました。
あくまでも旅の途上のひとつの目的地であることを忘れてはいけないし、目的に縛られすぎてはいけない、とも言っていました。「目的に左右されるのではなく、目的を掌握し続けないと。手放す必要があれば手放す覚悟も必要だ」と。
カタリは巡礼路を追って旅をすることを考えていたのでした。
☆ 要塞の中は村のようになっている
要塞の村ではみんなボルドーワインを飲んだり要塞内を見て回ったりしていました。
昔の面影が残る要塞の村は、中世ヨーロッパのロマンを感じることのできる場所です。
☆ 入江の岸辺に要塞はあります。
夢中になって目的を追っていれば感じずにすむ苦しみや辛さもあるのかもしれません。
カタリはそう考えてくれていたのかもしれないし、ただ巡礼の旅に興味があったのかもしれません。
☆ 要塞から見たブレイユの町
私たちはこの町ブレイユに入ったことで、巡礼の道のりへと乗ったのです。
でもこのときはまだ、私は巡礼路のことをまるで知りませんでした。カタリが巡礼路を旅するという考えを話してくれたのは、入り海を渡ってからのことでした。
☆ この石段も中世の鎧を着た兵士が登ったのでしょう。
中世の時代に想いを馳せながら見晴らし台の塔の上から辺りを眺めていると、入り海をこちらへと向かってくる渡し船の姿が見えました。
良いタイミング。
☆ 入り海の渡し船
渡し船は自転車と人で4.5€。この船では乗組員がお金を集めて回るのではなくて、窓口に並んで渡し賃を払いました。
☆ ジロンド入江を渡る
ジロンドは入江のように内陸へと切り込んだような形をしています。私たちは入り海と呼んでいましたが、本当は川だそうです。
この川をさかのぼった先に、ボルドーの町があります。
☆ セバスチャン=ヴォーバン(ブレイユの要塞を設計した偉大な要塞建築家)号
水は濁っていて川底は見えません。渡し船はいったん海側へと大きく回ってから入り海を渡りました。島や浅瀬を回避したのでしょう。まっすぐ渡ればすぐの距離なのですが、ブレイユの要塞を川から見る遊覧観光ができました。
☆ 「サンチアゴ?」と声をかけてくれたおばあさん
下船し、ジロンドの南側の土地へと降り立ちます。
船に乗り合わせる巡礼者の姿をカタリは探していたそうですが、いそうにはなかったそうです。でも乗り合わせたおばあさんが「サンチアゴ?」と声をかけてくれて、幸運を祈ってくれました。
岸辺には小さなインフォメーションセンターがあり、そこで私がサンチアゴとは何かとカタリに訊いたところ、カタリは巡礼路の計画を話してくれました。
☆ インフォメーション脇から延びる巡礼路
カタリはインフォメーションのお姉さんに巡礼路と巡礼宿について尋ねていました。
情報はあまり多くはなく、ボルドーまでの巡礼路とボルドーの巡礼宿の住所だけが分かりました。
インフォメーションオフィスにも巡礼者と思われる人々の姿はありません。
インフォメーションオフィスを出てすぐ脇にあるはずの巡礼路を確かめに行くと、青地に黄色い光のようなマークを見つけました。このマークとはこの先長らく付き合っていくことになるのですが、このときは「何だろうこのマーク?」「これが巡礼路の印なのかな」と話したくらいでまだ確証はありませんでした。
これが私たちと巡礼路のスカロップ(ほたて貝)マークとの初めての出会いでした。
☆ ジロンド南岸の町ラマルクの教会
私たちは巡礼路というものがどういうものなのかをよく知らなかったのと、この先巡礼路を追っていくかどうかどうかはっきりと決めていなかったのとで、いつも通り地図を頼りに田舎道を走ることにしました。
ジロンド南岸の町ラマルクからは、北側以上に多くのぶどう畑が広がる中を走ります。
☆ どこまでもどこまでもボルドーワインのぶどう畑が広がる
広い広いぶどう畑を抜けて、ボルドーワインで有名なボルドーの街の郊外へと入っていきます。
ボルドーは大きな街で、私たちはインフォメーションセンターを探したのですがなかなか見つかりません。
地図にないような田舎の村々を抜けていく道では目的の地へ辿り着くことができる私たちですが、大きな街ではしょっちゅう迷ってしまいます。
ここボルドーでもインフォメーションセンターで宿を尋ねようとしてさんざんに迷い、ようやくインフォメーションセンターを見つけたときには5時を回っていてオフィスは閉まっていました。
どうしよう。こんな大きな街で宿が見つからない。
街の中ではテントを張れそうな場所もない。
街の地図も持っていない。
どうしよう。
途方に暮れかかったとき、ジロンド南岸の町ラマルクで巡礼宿の案内をカタリがもらっていたのを思い出しました。そのことを伝えるとカタリははっとして私の頭をなでながら「探してみるか」と言いました。
☆ 街に設置されたこの地図だけが唯一の手掛かり
巡礼宿は中心から北西へ数km 行ったところにある Le Bouscat という地区にあります。通りの名前を頼りに探します。
こんなときにナビゲーションシステムを使えばきっとすんなりと見つけることができるでしょう。でも旅はまた別の意味をもつことになるのでしょうね。
私たちは命に係わる困りごとの場合には手段を選ばず最善を尽くしますが、そうではない困りごとはそれも旅の一部として受け入れるようにしています。
私たちは何かの目的のために旅をしているのではないのです。旅をするために旅をしているのですから。
☆ 初めての巡礼宿
巡礼宿を見つけるのにもさんざん迷いました。運良く Le Bouscat の区庁舎前の広場に地図があったので、それで調べることができました。でも宿らしい建物は見当たりませんし、民家も番地が違います。地図で示された場所にあるのはお墓だけ。
私たちは何度もお墓の前を行ったり来たりしました。この辺りにあるはずなんだけれど……。ふと、お墓の墓守の建物の扉の横に小さな看板札があるのに気が付きました。もしかして……。
勇気を出して私たちは墓守の家の呼び鈴を鳴らしました。
どきどきします。
しばらくして姿を現したのは神父さんのような方。私たちを建物の中へと通してくれました。
☆ 巡礼宿のキッチンホール
まさかお墓の建物が巡礼宿だとは思いもしませんでした。この先の巡礼宿も教会や修道院がやっているのかしら(と、そのときは思いました)。
巡礼宿へ到着したのは午後の7時近かったのですが、神父さんと奥さんが優しく迎え入れてくれました。二人のお友達の女性も顔を出して、巡礼宿の歓迎の定番であるジュースを振舞ってくれました。
私たちはいきなり歓待されてびっくりです。クッキーやジャムも自由に食べていいと言われてまたびっくり。
私たち、巡礼者ではないのにいいのかしら。
この後スペインの巡礼路に入ってから巡礼文化について知っていくことになるのですが、この時は初めてのことに驚きだらけでした。
神父さんが巡礼者の証である巡礼パスポート「クレデンシャル」を見せてくれと言うのですが、私たちには何のことかわかりません。
神父さんは「どうしてないんだ?」とすこし怪訝な表情をしていました。
私たちは巡礼者でもなければ、キリスト教徒でもありません。不法に宿泊しようとしている者と思われて追い返されるのではないかと不安な気持ちでいっぱいになります。ここで追い返されてしまうと、もう私たちには頼れるあてはありません。
カタリが巡礼宿に泊まるのが初めてだということと、これからサンチアゴ=デ=コンポステーラへ向かうのだということを説明すると納得してもらえました。良かった。
そして神父さんは巡礼協会と思われるところと電話で連絡をとりながら私たちの巡礼者の証を作ってくれました。
☆ お墓の中庭で夕ご飯
神父さんご夫妻は私たちのクレデンシャルの手続きを済ませるといなくなってしまいました。きっと自宅へと帰ったのだと思います。
宿には他に誰もいなくて、私たちだけです。
きれいなベッドとシャワー。それから冷蔵庫にはいくらかの食べ物まで。
久しぶりに宿に泊まれる幸福に、つい顔の表情が緩んでしまいます。
(クレデンシャルは5€で作ってくれて、宿は一人10€でした。)
お墓の横の中庭で夕ご飯を食べます。なんだか不思議な気分。でも、幸せな気分。今夜はシャワーとベッドがあります。
そしてなにより、
私たちは巡礼者「ピルグリム」になったのです。
☆ 巡礼者の証「クレデンシャル」
ここ数日、私の心は元気ではありませんでした。
自由な旅のその自由さに押され気味だったのかもしれません。
それを心配したカタリが旅の目的に選んだのがこの巡礼路でした。
宿が見つからなかったことも手伝って今夜私たちは巡礼者となり、これからサンチアゴ=デ=コンポステーラまでの長い長い道のりを多くの巡礼者や巡礼宿の人々と出会いながら旅をしていくこととなるのです。
この時がまさに私たちの旅路の大きな岐路であり、転機だったのです。
私の大好きな『若草物語』には四姉妹たちが「ピルグリムごっこ」をする場面が出てきます。それくらいしか「巡礼の旅」や「ピルグリム」という言葉について知らなかった私にとって、巡礼の旅路は未知の世界でした。
(パウロ・コエーリョの『星の巡礼』を読んだのは日本に帰ってきてからです。)
今日から真新しい未知の世界に足を踏み入れます。
出発地はブレイユの町ということになりました。
こうして私たちは巡礼者ピルグリムとなったのです。
☆明日へつづく☆
☆目次へ☆
☆巡礼の旅路☆